木村さくら絵画作品NFTマーケット出品①思考、理想編(長文)
わたしの絵はおもに紙に絵の具で描かれています。それはがっかりするほどもろい紙で、ファイルに容れ保管しているものの「永久ではないな」と画家自身が感じます。
作品の物質的強度もそうですが、価値の面でもわたしの絵はまだもろく(ちかい未来に評価されないとも限らないので「まだ」と書きました)わたしが死んだらわたしの手元に現存する絵らは、名実ともに紙くずになるのだな、と思います。「きっと、誰かが活かせる」などという希望的観測は一切抜きにして、いっそ晴れやかなきもちで「死んだらゴミでOK!」と言い切ります。それはわたしが、特別な取り組みで画家人生を設計し、みずからの商品価値を構築して社会へはたらきかける立派な芸術起業家ではないからです。洗濯物をたたみつつ、カレーの鍋を混ぜながら描いているような、のべつ幕なし生活と絵の癒着。ゴミと絵の距離もそう遠くはない。
けれどその考えは2022年の個展、木村さくら「女」展のころ変わりはじめました。
話が前後しますが、2020年頃から自己価値の意識改革を幼児の手遊びレベルから行ってきたと、いまなら振り返れます。2020年、このあたりは自画のコラージュ「じぶんの描いた絵を無作為に切って貼りなおす」にハマっていたころで「なかなかの自虐だな」などと感じてはいたものの、顕在化していない部分でみずからへの再構築をうながしていたのです。ずっとずっと、絵はわたしへ、リクエストしていた。
見かたを変えろ、われわれを使え、おまえの目的のために使え。
わたしはひとりでいすぎて、絵とだけいすぎて、おかしくなっていたのでしょうね。2022年初冬、個展準備中の眠れぬ真夜中に、抽斗いっぱいの紙くずがわたしを「呼んだ」と感じたのです。明朝、描き散らかしただけでまだ作品になりきらないモノらを6畳間いっぱいに広げ、展示を構想していきました。
過去の筆跡が目的達成のための目新しい材料になる。そうか、わたし自身とわたしの絵は別の存在なんだ。そう本質的にさとりました。
いかすもころすもなんて支配的な観点(ゴミとか言うこと)、ましてや「どうでもいい」と放棄することは結果画家の存在価値を下げに下げ作品の可能性をにぎりつぶしていました。この先わたしが朽ちてもかれら(絵ら)には遺る権利があるのではないか。わたしの奥深くで自作画に対する敬いがめばえ、ひそかに意識の調整が進み、かれらの可能性を拡げる機会が現れたらするどく直感するようたしかに仕込まれていきました。
そんな折に「NFT」と「アート」が結びついたまだ新しい市場の存在を知りました。
ちょうど株式市場のあらましを勉強していて暗号資産の成り立ちやweb3とつぎつぎ興味を拡げ知識を吸収している時分にあり、検討する余地じゅうぶんでこれに挑もうと決めました。
NFT(Non-Fungible Token)はデータを書換えられないウェブ上の「真作証明」。これは作品アーカイブ的に使えるのではないか。さらに「ウェブに遺す」と考えれば、これはある意味「画家の終活」になるかもしれません。
少々話題が逸れます。
「どう終わりたいのか」はわたしの世代(いわゆる就職氷河期世代)まるごとの課題です。いくら世間にうといわたしでも痛いなと感じていることです。始まろうとして即傷つき、傷ついたままで生き続け寛解を知らず。大団円にあこがれつつ周囲はおろか社会においてもそれを目撃した経験がない。映画「スターウォーズ」の永き戦いのあと、表彰式にくすぐったい思いをいだくのはなぜなんだろう。
「じぶんはこう終わらせる」とひとかけらでも理想を思い描ければ、心は絶望の構えを解くのかもしれない。わたしはいま俄然「終わりかた」に興味を抱いているのです。
わたしは現在41歳で心身健康。すぐには死にません。終活は思いついたらいくつからでもやればいい。紙の絵がほろんでもウェブに残されていくなら、後世の読者に語りかけるコクトーのエッセーを70年後にわたしが偶然目にしたように、どこか遠くのしらないところや思いもよらないひとの元へ絵は旅をするのかもしれません。ウェブが存続する限り、その旅は無限に続くのかもしれません。
「NFT」についてはわたしが語ると誤解をまねくおそれがあるので思い切って説明をはぶきます。でも「ご自身で調べてください」と言うのはどれほど危険で無責任なことか。ウェブ検索で提示される記事は偏向情報や流行のトピックスばかりで基本的な概要が掴みづらいのです。ですから、やはり本に頼ります。下にいくつか参考書をピックアップします。ウェブ新時代(web3と呼ばれている多方面の動向すべて)の知識としてNFTは避けて通れず、むしろそこをおさえることでムーブメント全体が紐ときやすくなるかと思います。
|参考書|
テクノロジーが予測する未来 / 伊藤穰一
The NFT Handbook NFTのすべて / マット・フォーナウ、キューハリソン・テリー
新しいアートのかたち NFTアートは何を変えるか / 施井泰平
ちなみに上記コクトーのエッセー本はわたしの宝もので、摂津本山のBookCafeULMでマスターに渋られながら買いました。
「ぼく自身 あるいは 困難な存在」ジャン・コクトー/秋山和夫・訳
”木村さくら絵画作品NFTマーケット出品①思考、理想編(長文)”お付き合いまことにありがとうございます。まもなく参入するマーケットプレイスの詳細や販売収益で取り組みたい事柄を”情熱、野心編(短文)”と題してまた次回当ホームページに記します。
(2023年4月1日 木村さくら)
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