大切なあなたへ
わたしは言葉が大切でしかたないよ。
絵が愛おしい。
漫画は言葉と絵が画面上で同時に存在している。二者は触れあい互いに刺激し合って物語を紡いでいる。豊かな言葉の元で絵は軽く、ますます動きが出てくる。
絵だけを描いていて思う
「ここに言葉がほしい!」
文章を書いていて物足りない
「絵で説明したいわ」
今日は「ぼくと先輩」読者のみなさまに、ぼく先1巻を出版する前年、2018年の話をしよう。
わたしは物事に本気で取り組むときほど、人を巻きこむ。
自主制作の漫画と聞いたら、コツコツ、黙々の猫背が思い浮かぶだろう。それはそうなの。描くのはわたしひとり、物語を編み、ままならなさに苦悩して不安からひとりごつ。
だけれど相手(漫画ってやつは)デカかった。ひとりで立ち向かうわたしはただの「ちいかわ」。プルプルしているうちに潰されてしまうと思った。それで「原稿にする前から、読者を持とう」と思いたち、数名のハチワレ(親友や恩人)にネーム(漫画の下描きの下描き)を読んでもらうことにした。
ネームは1年間かけて描き、7,8話分ある。簡単な、荒い描き方ではなくて、鉛筆だけれど「完成原稿を想定して描いた」程度に見られる仕上がりで、すでに読者に向けたエンターテイメントになっていた。
(この記事の画像はすべて当該ネームより。いい線描いてるんだ)
そして本質的にこの作業は「ぼくと先輩」世界をじぶん自身にわからせるためだった。のちに母から聞いた「世界固め」(劇作家や演出家が脚本を作るまえに他者にアイデアを語り、物語全体を探っていく作業)こそが、ちょうどこれに当たると納得した。
「ぼく先」は2巻3巻と続刊していった。
0から1が作家の魔性から生まれたら、1を10に100にしていくのは何をおいても読者だった。これを読んでいるあなただよ。
わたしとあなたはまだ実際に会っていないかもしれない。だけれども「ぼくと先輩」にはわたしの真実が、絵になり言葉になり描き・書かれているから、生身の著者が工夫して作っていることは伝わるはず。内容が、わかる/わからない、響く/響かないはさておき。
あなたのところへ行けてよかった。受け止めてもらえて、じぶんばかり、いい思いをしているよね。あなたのためになることは何なのか、今のところ、わたしにはわからない。
あなたの真心がわたしへ伝えられるときを待ちます。祝福の準備は出来ているよ。
もうすぐ3月7日が来る。
「ぼく先」遠久野さんのお誕生日です。うお座A型。作中しばらくまだ34歳だ。
そうそう。まだまだ続くんだよね。わたしもしつこいからさ。
(2023年3月6日
新たな「ネーム」を描きつつ
木村さくら)
0コメント